コロナ散歩で絵手紙―第4

  まだまだ続くよ、コロナ散歩。11万歩で、心持ち腹もへこんだような気がする。

 この「コロナ散歩」で今までになくたくさんの絵を描いたが、もうこの年では上手になることはないが、気楽な描画なので、気分によって、景色によって、いろんな道具(例えばデッサンで鉛筆、フェルトペン、墨を含ませた割り箸、ダーマート(油性色鉛筆)等)を使って描くと、面白い味の絵が出来て楽しい。

 今回の絵手紙は①②埼玉県立近代美術館と埼大通り、➂④⑤浦和駅西口~「裏門通」、玉蔵院参道、⑥⑦埼玉県庁、県知事公館、➇さいたま市役所、➈⑩見沼通船堀~芝川、⑪別所沼公園の11葉を見ていただこう。

 このうち下記の歴史、名前の由来について調べてみた。

浦和は中山道の宿場町であるが、昔からの古い建物や旧街道の面影はほとんどない。しかし、その旧街道と直交する「浦和裏門通り」には古い町並みが残っている。裏門とは、埼玉県庁の裏門に通じることからその名がついたそうで、通りには古い様式の建物が多数残っていた。今でも古い煎餅屋、古い床屋、蕎麦屋、剣道の武具の店や画材、額縁屋さんなど面白い店があり、通りから脇に入るとレトロな写真館や銭湯など、現在の浦和の中心市街の中では貴重な空間だ。しかし、それら古い店もだんだん少なくなっているのが寂しい。ここから少し南側には枝垂れ桜で有名な「玉蔵院」があり、この寺の参道沿いに我々が仲間とよく行く居酒屋「ねぎ」がある。裏門通をさらに浦和駅方面に進むと、ここには浦和レッズファンの聖地・酒蔵「力」がある。ここはレッズの試合後にファンが大勢集まって気勢を上がる。

埼玉県立近代美術館1969年移転した埼玉大学の跡地に建築家黒川紀章の設計で建設、開館した。その基本方針は埼玉の近代美術を中心に内外の優れた作品を収集、展示することとして、3000点余の所蔵作品のうち2000点が埼玉県ゆかりの美術家の作品で占められる。浦和画家として有名な九や寺内萬治郎の作品も展示されている。

旧浦和市には多くの画家が居住しアトリエを構えたことから文学者の多い鎌倉市と並んで、「鎌倉文士に浦和画家」と称された。これは在京の絵描きが大震災によって壊滅的な被害を受けた東京から東京至近の割には被害の少なかった浦和市(当時は浦和町)に移住し、住居や別荘(特に別所から常盤にかけての高台の鹿島台辺り)を構えたことによるそうだ。

                                                                        202062日 投稿 竹原 貞夫