絵手紙は

楽しい

PART-6

 

いろいろあって、絵手紙から暫くご無沙汰していたが、この間、北側の壁際に椿の花が元気に咲いているのに気が付いた。この椿、数十年前伊豆の大島で「あんこ椿」のお姉さんから苗を買って植えておいたものだ。ところで「あんこ椿」はあの都はるみ「あんこ椿は恋の花」で有名な「あんこ」だが、その意味はもともと目上の女性に対する敬称で、おねえさんが訛ったものだということです。あそこにいたあんこさんはおばさんだったかも、でもきれいなひとだった。大島の人に言わせると日本の3大美人産地は「大島、京都、秋田」だと言ってたから。 この深紅の椿の花を見るとなんだか元気が出てきて、また「絵手紙描いてみようかな」という気になって絵筆を手にした。

 ツバキの赤は深紅、顔彩は鮮やかな赤が出る。水彩絵の具ではなかなかこのような鮮やかな赤が出ないらしい。また水彩や絵手紙のように紙の上に描く絵では紙の地肌の白が最も明るい色で、絵手紙では背景は着色しないのが普通ですが、花びらや葉っぱは全体を塗りつぶさず、少し残して着色して立体感や光の当たっている部分を表現するという手法をつかいます。

 ただ他の水彩や油彩の場合、明るさを強調する場合は周りを暗くする手法が使われます。有名なレンブラントは「光の魔術師」とよばれ、影の部分を濃く描いて光の当たった明るい部分を強調しています。しかし考えてみると絵画に限らず、どんな世界でも通じるものがあって、映画でも徹底的な悪役が正義の味方を引き立てるのです。現在のウクライナ戦争でも「プーチン」の悪逆非道が「ゼレンスキー大統領」の正義を際立たせているようです。

 

 

 水仙の花言葉は「うぬぼれ」、「自己愛」、「エゴイズム」、「尊敬」これらの花言葉は、水面に映った自分の姿に恋をしたギリシャ神話の美少年「ナルキッソス」が由来になっています。ナルキッソスは、あまりの美しさのため、周りの乙女たちの心を虜にしていました。あるとき、森の妖精エコーがが動けなくなるほど彼を愛しましたが、相変わらず冷たい態度ではねつけます。これにはさすがに復讐の女神メネシスも怒り心頭で・・・・「人を愛せない者は自分自身を愛するがいい」と呪いをかけました。 それからナルキッソスは、水面に映った自分自身に恋してしまいました。 当然のことながら、水面の中の自分自身は、彼の想いに応えることは決してありません。恋の気持ちいっぱいで、食事もできないままに瘦せ細り、そのまま憔悴して死んでしまいました・・・ その姿は水辺でうつむきがちに咲く、水仙の花に変わったということです。水仙が水辺で自分の姿を覗き込むかのように咲くのはそのためだとか・・・・

 コロナはようやく下火になったが、世界を見渡せば、ウクライナではひどい戦争の真っ最中だし、国内でも福島沖地震で被害に遭った人は悲惨だ。こんな災害や紛争のない平和で、みんなが幸せに暮らせる理想的な世界(ユートピア)はないものでしょうか。「ユートピアなどありません」  トーマス・モアが我々が「理想郷」と訳す「ユートピア」という言葉を作りだしたとき、彼はそれが現世ではありえないことを認識していました。ユートピアは「ウ」✙「トポス」という2つの単語を合成したしたものだが、「ウ」は英語のNOに当たる否定の意味を持ち、「トポス」は場所という言葉。だから「ユートピア」は「どこにもない場所」だとトマスモアは言外に定義したのです。

 

 昨日古い手帳(2012年)を見ていたら、ちょうど10年前3月19日に「市民会館おおみや」でシニア大学卒業式があったと記してあった。その時のメモに誰の挨拶か忘れたが、呆けない方法「カキクケコ」というのがあった。感動する 興味を持って 工夫をしろ 健康であれ 恋をしろ まあ案外常識的な事だが、だんだんこのようなことが面倒になっているのが感じる。 2022年3月25日 絵手紙 中島冨美 文 竹原