コロナ散歩絵手紙―第5

 世の中コロナ感染で騒ぐ中、幸いなことにわたし自身、そして周りの人も陽性患者が出たと云う話は聞かない。

そして、この企画を思い立って約1カ月半40枚位の絵を描いた。絵の好きな私にしてもこんなにたくさん描いたのは初めてで、これもコロナのお蔭というのはちょっとおかしいが、コロナが無ければあり得ないことだ。また、HPで皆さんに見てもらうことが描くことのモチベーションになっている。

 コロ散歩みたいに、一人で好きなところをウロウロするのは気楽でよいが、気の合う人といっしょに行けばなお楽しい。わたし事になるが、もう10年くらい前、そんな気の合う絵友達がいて、二人でずいぶんいろんなところに行って一緒に並んで絵を描いた。本当に楽しかった。最近はずっと疎遠になっていたが、「そろそろまた二人で行きたいな。」と思っていた矢先の昨年暮れ突然、彼の訃報が届いた。悲しくて涙が出た。このコロナ絵も彼と一緒に行ったところが何カ所もある。コロナが済んだら、この中の一枚を彼のところに送ろう「俺まだ描いているんだ。」と書いて・・・。

 今回は少し足を伸ばして、①②③さいたま新都心周辺、④⑤見沼氷川公園、そしてごく近場で⑥⑦⑧⑨本太氷川神社、さいたま市青少年宇宙科学館、さいたま市営野球場、蓮昌寺など。 

 この中でさいたま新都心(英名:Saitama New Urban Centerに関して、現在の「埼玉県さいたま市中央区新都心」とされている場所は、さいたま市となる前は、新都心の「街開き」の20005月当時も旧浦和市上木崎、旧大宮市北袋町、ならびに旧与野市上落合が入り組んでいた。その後、2003年(平成15年)の政令指定都市移行に伴い、旧3市は「さいたま市」となり、JR線路の西側は中央区に、東側は大宮区となった。

 機能的にはJR線東側の地区には「コクーンシティ」と呼ぶ大型ショッピングモールがあり、商業店舗が立ち並ぶ、同西側地区には「さいたまスーパーアリーナ」・「けやきひろば」や官民の高層ビルが立地する。「さいたま新都心合同庁舎」には関東地方を管轄とするほとんどの出先機関(各省庁の地方支分部局)が入っている。自分も合同庁舎ができたころ、霞が関から赴任した知り合いの役人に挨拶に行ったことがある。

 「見沼氷川公園」氷川女体神社のすぐ傍にある公園で、小さな池、芝生の広場そして「ラベンダー花畑」などがあり、すぐ脇には見沼の桜並木が通っている。この公園は浦和の「絵画のスポット」になっていて、小中学生のスケッチする姿をよく見かける。もちろん私も何度か描きに来ているし、またうちのワンコの遊び場としてよく来る場所だ。

 この公園の一角に「山田の案山子」のモニュメントがある。「山田の中の一本足の案山子~」との歌詞を作詞したのが、女体神社の宮司の長男で教師をしていた武笠 三(むかさ さん)という方。明治のころに、見沼田んぼに実る稲穂を歌ったものだそうです。このことから浦和の見沼が「山田の案山子」の発祥の地になっている。

202069日 竹原 貞夫 寄稿