コロナ散歩で絵手紙―第9

 

コロナも期待に反して、当分収まりそうにない気配だが、わたしは散歩とお描きで多少は気が紛れているが、それでもあまりこんな状態が続くと憂鬱になる。浦和の散歩だけでは描くところが少なくなって、出かけた先々で写真を撮って絵手紙にしている。

 そんなわけでまずは、「碁会」で訪れた蕨地区の光景3編 ①②③、蕨駅西口、蕨城址、和樂備神社だ。

 京浜東北線沿線には昔のお城らしきものは見あたらない中、いきがい大学蕨校の本拠地、蕨市民会館一帯はその昔の蕨城址だという。

 「蕨城」は、南北朝時代に足利氏一門の渋川義行によって築城され、曾孫の渋川義鏡古河公方に対抗するための拠点とした。

周囲を沼と深田に囲まれた微高地上に築城された平城で、幅約11.8mの囲掘と幅約8.2mの土塁をめぐらし堀の内側の面積は約12,200㎡となっており、南側には同様の堀と土塁をめぐらせた約21,650㎡の外輪地があり二郭を形成していた。

戦国時代には扇谷上杉氏後北条氏の境界線に位置したため、扇谷上杉氏にとっては江戸城奪回のための拠点となり、後北条氏にとっては川越城攻略の足がかりとなり、しばしば所属する勢力が入れ替わった。大永4年(1524年)北条右治綱によって攻められ、破壊されたといわれている。

城址公園と隣接して和楽備神社わらびじんじゃ)があり、これに城址公園と市民会館を合わせたものが蕨城のかつての本丸跡地であったと推定されている。

·        城主不在のまま廃城となった蕨城は江戸時代になると徳川家の鷹狩用の御殿として再利用された。

·         交通の要衝であった蕨は戦国時代には城下で六斎市が開かれており、中山道が整 備されると宿場町として再び栄えた。

·         現在は本丸跡地が県の旧跡に指定され、城址公園として整備されている。

·         城址公園と隣接して和楽備神社(わらびじんじゃ)があり、これに城址公園と市民会館を合わせたものが蕨城のかつての本丸跡地であったと推定されている。

·         今はわずかに堀跡と御所跡桝形、要害、高山、堀内、防止などの俗名を残すのみである。 

 

 

今年は「浦和おどり」も中止になって寂しい思いをしている人も多いと思われるので、せめてこのホームページの絵だけでも賑やかにと、数年前の絵をリメイクして、載せてみた。

 

 先日久しぶりに、定期診察で築地の「聖路加国際病院」に行った。診察の後、その付近をウロついて、数枚写真を撮って、帰ってから絵手紙にしてみた。

聖路加国際病院の「セイロカ」の名は新約聖書福音書の一つである『ルカによる福音書』の著者とされる聖人ルカの漢字表記に由来する。聖ルカは、『コロサイ人への手紙』で「親愛なる医者のルカ」(414節)と呼ばれていることから、キリスト教圏ではしばしば病院の名前に使われる

聖路加国際病院の名称における「聖路加」の正式な読みは「せいか」である 一方、「せいか」の読みも定着している。最近はまた積極的に正式名「ルカ」を用いており、テレビ報道でも正式名称で紹介されている。同様に、関連施設である聖路加看護大学[聖路加ガーデン聖路加レジデンス等も同様に「せいるか」の発音が正式である

 因みに私の聖路加病院の診察券も「St.Luke's International Hospital」となっている。

福音書(ふくいんしょ、希: ευαγγέλιον, ラテン語: Evangelium)は、イエス・キリストの言行録である。 通常は新約聖書におさめられた福音書記者による四つの福音書:マタイによる福音書(マタイ伝)、マルコによる福音書(マルコ伝)ルカによる福音書(ルカ伝)、ヨハネによる福音書(ヨハネ伝)を意味する。

 

 前回の第8報で見て頂いた「こゆき」の火葬、納骨、供養をお願いした「大宮武蔵野ペット霊園」に先日家族でお参りに行ってきた。大きな共同墓地と広いきれいな庭園の霊園で、ここならこゆきも安らかに眠れるだろう。

2020年7月27日  竹原貞夫  投稿